芝浦発“日本初!”(後編)

港区芝浦地区の海沿いにある区立公園。
“パッと見”は普通の児童公園だが、この公園には“日本初”を記念する碑が二つもある。
今回のよりみちスポットは” 日本初が二つある公園”の後編。

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“日本初プロ野球チーム発祥の地”に引き続き、今回も「港区立埠頭公園」を紹介する。
所在地やプロ野球に関する日本初の逸話など、前編記事はこちらから

野球場に併設する形で児童公園があるのだが、中央の砂場に置かれた船を模した複合遊具、よく見ると船腹に名札がついている。

船の遊具
<埠頭公園の“船”には実在のモデルがある。>

船の名前は『開南丸』。
この船が、二つめの「芝浦発“日本初!”」の主役だ。

本物の開南丸は、日本初の南極探検に使用された木造帆船。
積載量は僅かに204トン、中古の蒸気機関を取り付けるなどの改造を施されたのち、1910年11月28日に27名の隊員を乗せて芝浦埠頭を出発した。

途中、隊員の休憩と補給のためニュージーランドのウェリントン港に立ち寄る。
一度は南氷洋の氷に阻まれオーストラリアのシドニー港に回航せざるをえなかったものの、夏を待って再度出発。
1912年1月16日に南極大陸のホエール(鯨)湾に上陸した。

白瀬隊長以下5名は二台の犬ぞりで南極点を目指すも断念。南緯80度5分・西経165度37分の地点に到着し、一帯を『大和雪原』と命名した。
また留守隊は沿岸の前人未到地域を探検した。

日本南極探検区域図1
<開南丸の航海コース(1)※ (クリックで拡大)>

日本南極探検区域図2
<開南丸の航海コース(2)※ (クリックで拡大)>

※『南極探検船「開南丸」野村直吉船長航海記』
 野村直吉船長航海記出版委員会 編
 成山堂書店 2012年発行
 より引用。なお図の利用については出版社の許諾を得ています。

一行は天文気象など多くの学術的成果をあげ、全員元気に1912年6月20日に芝浦へ帰港した。約5万人の市民が開南丸の帰還を歓迎したという。 

園内にある記念碑は、25周年の出発記念日にあたる1936年11月28日に建立され、1982年11月に経年による損傷を修復したものだ。

記念碑
<「南極探検隊事跡概要」と「第一次並第二次南極探検隊参加者」が書かれている。>

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