「私のなかの彼女」書評No.002

「妄想のなかで生きることと現実を暮らすことは矛盾しない」

 

角田光代の著作を読むのはこれが初めてである。

だから、他の作品と比べて本作が特殊なのか、これが著者のテイストなのかは不明だ。

 

私にとって、この人の小説を読むことは、かなり苦痛を伴うものであった。

登場人物の誰にも感情移入できなかった。

登場人物たちは、笑いもするし怒りもする、泣きもする。だが、その感情の一切が私にちっとも響いてこない。

スッと物語の中に入り込んでいくことを、拒絶されているかのようだ。

 

淡々と、ビジネス本を読んで、あゝそうか、なるほど、と思うことはあっても、感情が揺さぶられることはない。そういった感覚に酷似していた。

 

小説の時代設定はバブル全盛期からの20年ほどで、現実に起きた事件などにも触れられている。

バブルを知らない私の世代、近いようで実はかなり隔たりのあるこの世代間のギャップがそうさせているのか。リアルなのに自分には縁遠いもの、という事実が邪魔をしているのか。

 

読了して、最初の感想は、なんとか読み終えた、だった。

 

そんな中で、唯一引っかかったのが、冒頭に引用したフレーズだ。

主人公が小説を書く上で、自然とテーマにしているとされているこの一文に、私は惹かれた。

 

現実逃避か、自己防衛の手段か、単なる願望か、誰でも妄想をすることはあるだろう。

しかし、それと現実はあくまでも別のものだ。それは誰でも理解しているはずの普遍の「事実」だ。その垣根をはき違えると、凶悪犯罪を起こしたりする者もいる。

それを敢えて矛盾しないと言い切った主人公、そして著者の感性の危うさ•ギリギリのバランス感には面白味を感じることができた。

 

この危うさ故、本作が小説として成立しているのではないか、とすら私は思う。

そこが著者の小説家としての力量なのか、とも。

この危うさを引き立てんがため、敢えて淡々と読ませる手法を採っていたのだとしたら、私は見事に著者の掌の上で弄ばれた、ということになるのだろう。

 

–30代 男性

 >一覧に戻る

ページTOPへ