そるくんの知らない世界

第4回 そるくんの知らない「世界遺産」の世界

ソルクシーズのキャラクターとして博識になれるよう、ボクが「あれ?」って不思議に思ったことを深く勉強していくこのシリーズ。第4回目は、そるくんの知らない「世界遺産」の世界。
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今年4月に発生した「ノートルダム大聖堂」の火災はショッキングなニュースだったよね。火災により大聖堂の屋根と尖塔が崩落。建物の主要部分が残ったのは不幸中の幸いだけど、再建には「数十年を有する」という専門家の意見もあがっている。

これをみて、そるくんは思いました「いつか見に行こう、と思っている遺跡や景色が、必ず見られる保証はないんだなぁ」って。

ちょっぴり悲しくて厳しい現実だけど、だからこそ保護について考える必要があるかもね。ということで、今回は「世界遺産」の保護について勉強してみたソル!

 

世界遺産保護に関する「はじめて物語」

世界遺産保護活動をしているユネスコ(UNESCO)は、国連の専門機関として1946年11月に誕生。前年に第二次世界大戦が終結。UNESCO憲章前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない、と書かれているんだソル。

実は、ユネスコが世界遺産保護活動を始めたのは、発足からだいぶ後。世界遺産登録のしくみが出来たのは、1972年の第17回UNESCO総会で「世界遺産条約」が採択されてから。

ところで、世界遺産と言われて思い浮かべるのは、「なんか立派な建物とか、すごい景色」だよね?遺跡や建物など「人が作ったもの」と、公園や湾や山などの「景観」が混じってる。

これは、世界遺産保護活動を始めるきっかけとなった、ふたつの”遺産”に由来するといわれています。

ひとつはエジプトの「アブシンベル神殿」、もうひとつはアメリカの「イエローストーン国立公園」。

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1952年に発表されたアスワン・ハイ・ダムの建設計画で水底に沈もうとしていた「アブシンベル神殿」を守りたい!との願いが世界に投げかけられ、移設という形での解決方法をリードし成功させたのがユネスコだったんだソル。

一方、「イエローストーン国立公園」は、アメリカが独自に世界初の”国立”公園として指定していて、保護のための国際条約を結ぼうとしていたんだけど、「同じような国際条約が2つできるのは避けたい。アメリカも参加させたい」ということで、ユネスコが指定する世界遺産になったんだソル。

だからユネスコの世界遺産には、人が作った「文化遺産」と、美しい景観などの「自然遺産」(とその二つの要素をもつ「複合遺産」)があるんだね。

 

消失遺産・危機遺産

ユネスコに登録されている世界遺産1,000を超えている。でも、そのうち50を超える「危機遺産」があるって知ってるかな?

有名なところでは「バーミヤーン大仏」(登録名「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」)。

アフガニスタンのバーミヤーン渓谷にある石の壁に掘られている高さ55メートルと38メートルの2体の大仏は、イスラム原理主義組織タリバーンによって破壊された。

シリアの「パルミラの遺跡」や「古都アレッポ」も内戦で失われてしまった。

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他にも、インドネシアの「スマトラの熱帯雨林遺産」では、プランテーション開発により熱帯雨林が急激に減少していたり、マダガスカル島の「アツィナナナの雨林群」では、違法な森林伐採や密猟により生態系が脅かされているんだソル。

平和を願って発足した取り組みによって守られている世界遺産が、争いや独善的な行いで失われてしまうなんて、悲しくなっちゃうね。

文化遺産の場合、危機遺産に登録されたものが、寄附やユネスコ信託基金を元にした修復支援によって復旧できたものもあるけど、「予算の少なさ」、図面や写真などの「科学的根拠の限界」「技術の消失」などが復旧の障害になっているよ。

「バーミヤーン大仏」は、非常にもろい砂岩に彫られていて、オリジナル大部分が消失していることと作業の危険性から復旧作業が難航している。

 

日本の世界遺産登録の歴史

日本でも、現在22件の世界遺産があり、2006年には「世界遺産検定」が始まって盛り上がってるけど、昭和の時代にはひとつも登録されていなかったって知ってる?

日本が「世界遺産条約」に参加するのは、UNESCO総会で条約が採択されてから20年もたってから。

我が国初の世界遺産登録は1993年。文化遺産として「法隆寺地域の仏教建造物」及び「姫路城」、自然遺産として「白神山地」及び「屋久島」が登録されたんだソル。

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世界遺産条約に加盟したのが先進国でも遅い部類に入っている理由として、「広島原爆ドーム」の存在がある。

唯一の被爆国として「広島原爆ドーム」を後世に残していこうという決意がある日本が条約に加盟すれば、このドームは登録候補の上位になる。でも、東西冷戦時代に「核」を想起させる遺産を申請して、世界情勢に影響を与え注目を浴びることを避けた、と言われているよ。

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「原爆ドーム」は、1996年12月に世界遺産に登録されました。そるくん、いつかきっと訪れるソル!

 

 

人々の「想い」が登録の理由 「ワルシャワ歴史地区」

危機に瀕したり、破壊されたりした世界遺産の復旧が大変なことをさっきお知らせしたよね。

ここでは、オリジナル破壊後に復旧した姿が登録された「ワルシャワ歴史地区」のお話をするよ。

「ワルシャワ歴史地区」は700年以上の歴史を誇る旧市街だった。第二次世界大戦の終わりにナチスドイツがポーランドから撤退する際、ワルシャワの街を徹底的に破壊した。

しかし、そのことを予想していたワルシャワ工科大学の建築学教授:ヤン・ザフファトビッチが、学生たちとともに建物の詳細なスケッチを残したんだソル。その数、35,000枚。すごい!

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これらの図面を基にして第二次世界大戦後、専門家だけでなく市民が総力をあげてワルシャワの旧市街を元通りに復旧。その様子は「レンガの割れ目一つに至るまで」と言われている。そして世界遺産に登録しようと申請した。

ということで、現存する旧市街は戦後数十年しかたっていないんだけど、ユネスコは街自体の歴史的価値ではなく「街の復興にかける市民の不屈の熱意」を評価して、1980年に世界遺産への登録を決めたんだって。

ワルシャワ市民が守り、後世に残したかったのは、町の景観だけではなくて、平和への思いと、そこにある平安な生活や大事な人々の存在だったんだとそるくんは思います。

 

 

●参考文献●

『消滅遺産 もう見られない世界の偉大な建造物(安倍 雅史・監修)』(ナショナルジオグラフィック社)

『世界遺産 知られざる物語(NHK世界遺産プロジェクト・著、須磨章・著)』(角川書店)

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