そるくんの知らない世界

第5回 そるくんの知らない「パラリンピック」の世界【前編】

ソルクシーズのキャラクターとして博識になれるよう、ボクが「あれ?」って不思議に思ったことを深く勉強していくこのシリーズ。第5回目は、そるくんの知らない「パラリンピック」の世界。

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来年は、いよいよ東京でオリンピック・パラリンピックが開催されるね。「観戦チケット、当たった?」が挨拶がわりになったり、代表選考のニュースが多くなってきたり、盛り上がっているソル!

「普段はスポーツに興味ないけど、オリンピックのときはついTVを見まくっちゃう」って人も多いかもしれない。

でも、恥ずかしながら、オリンピックに比べてパラリンピックのことって、そるくん、よく知りません。ということで、今回は「パラリンピック」について勉強してみたソル!

パラリンピックの名前の由来とシンボルマーク

さっそくですが問題です。パラリンピックのパラって何?

障がい者の国際スポーツ大会は車椅子使用者に限定されて始まったので、パラプレジア(=両下肢麻痺)+オリンピックの意味で、パラリンピックと呼ばれていた。

現在は、両下肢に限らず四肢障害や視覚障がい者なども参加する、パレレル(もうひとつの)+オリンピックという意味でパラリンピックと呼ばれているよ。

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では、次の問題。パラリンピックのシンボルマークはどんな形?

オリンピックのシンボルマークは、5色の輪の組み合わせで、それぞれの色は5つの大陸(=世界)を表す、なんてことまで知っている人は多いと思う。

でも、パラリンピックのシンボルマークを知ってるひとはまだ少ないかもね。

赤・青・緑の”フック”のような形が組み合わさったマークで、「スリー・アギトス」と呼ばれているんだソル。アギトは、ラテン語で「私は動く」という意味なんだって。

オリンピックのマークと並んで、目にする機会も増えてくると思うので、チェックしてみてね。

 

世界における障がい者スポーツの歴史

繰り返しになるけど、障がい者によるスポーツ大会は車椅子使用者から始まった。イギリス北部にあるストーク・マンデビル病院の院長だったルードヴィッヒ・グッドマン博士が、脊髄損傷患者のリハビリとしてスポーツを取り入れたんだソル。

博士は、1948年に開催されたロンドンオリンピックの時期に合わせ、病院内でアーチェリー大会を開催。それから毎年開催され、1952年にはオランダからの参加者も増えて国際大会に発展。この大会が「第1回国際ストーク・マンデビル大会」と呼ばれ、パラリンピックの発祥とされている。

1960年のローマオリンピックの際には、全世界から参加者を募った。この大会はのちに第1回パラリンピックとして位置づけられ、博士は「パラリンピックの父」と呼ばれるようになりました。

日本における障がい者スポーツの歴史

1964年に開催された東京オリンピックと同じ年に、第2回パラリンピックが開催されている。でも、その前回のローマで開催された時点では「ストーク・マンデビル大会」と呼ばれていたので、最初から「パラリンピック」という名前が使われたのは、東京が初めての大会なんだよ。

日本国内では、そのずっと前から障がい者スポーツ大会があったんだソル。

例を挙げると「1918年 日本ろうあ協会東京支部 野球大会」「1926年 日本ろうあ協会主催 第1回ろうあ者体育競技大会」に始まり、1950年代になると、東京や埼玉などの地方公共団体主催の身体障がい者スポーツ大会が開催されるようになった。

既存の障がい者スポーツ大会の存在や、後で紹介する【障がいの種類による壁】によって、1964年のパラリンピック2部形式での開催になったんだけど、それは【後編】で詳しく説明するね。

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1964東京、1998長野後の日本

ちょっと時間を進めて、過去に日本で開催されたパラリンピックが与えた影響についてみていこう。

1965年には「日本身体障がい者スポーツ協会」が発足し、1970年代には、障がい者による競技スポーツ大会が次々と開催されるようになった。いわゆる「リハビリからスポーツへ」という転換で、バスケットボール、スキー、アーチェリー、卓球、車いすマラソンなど競技も増えたよ。

1985年に「日本身体障がい者スポーツ指導者制度」も出来たけど、まだ一般への知名度は低かった。

そんな中で迎えた1998年の長野(冬季)パラリンピック。総メダル数がドイツに次ぐ2位というパラリンピアンの躍進がメディアで取り上げられるようになると、注目度や人気も増し、新聞でも社会面からスポーツ面に掲載されることが多くなったんだソル。

2003年には「パラリンピアンズ協会」という、パラリンピックに日本代表として出場した経験のある選手有志による選手会もできました。「誰もがスポーツを楽しめる社会の実現」を目指して活動しています。

2011年には、それまで施設に関することを中心に定めていた「スポーツ振興法」を全面改訂した「スポーツ基本法」が出来て、国家戦略としてのスポーツ振興が始まった。

2012年 「スポーツ基本計画」発表、2013年 東京オリンピック・パラリンピック開催決定、2014年 スポーツ事業が文部科学省の管轄に、2015年 障がい者スポーツを含むスポーツ事業を管轄する「スポーツ庁」創設、という流れを経て、2020年東京パラリンピックが実現します!

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【前編】では、パラリンピックにまつわる歴史を中心にお話してきたけど、ちょっと難しい話が多かったかな。。。

【後編】では、「障がいの種類による壁」「パラリンピックだけにある競技・ルール」「パラリンピアンをサポートする器具」など、知ってるとパラリンピックをより深く楽しめるお話をしていくソル。続きをお楽しみに!

●参考文献●
『パラリンピックを学ぶ(平田竹男・河合純一・荒井秀樹 編著)』(東京 早稲田大学出版部)
『パラリンピックの楽しみ方(藤田紀昭 著)』(小学館)

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