テレビで紹介された記念公園

2015年の大河ドラマにちなんで、歴史を振り返るシリーズ第三弾。1月18日放送の「花燃ゆ紀行」のコーナーで紹介された公園まで足を運んだ。
今回のよりみちスポットは“黒船来航の記念公園”。

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品川から京急の特急に乗車し65分(!)、京急久里浜へ。久里浜港経由・野比海岸行き(系統番号「久8」)バスに乗車して10分弱、ペリー記念碑で下車すると『ペリー公園』に到着。(神奈川県横須賀市久里浜七丁目14番)。

面積は約7,121平方メートル。
管理は横須賀市環境政策部公園管理課(TEL:046-822-8333)と、指定管理者の「横須賀・西武パートナーズ」。

公園に入ると正面に“北米合衆國水師提督伯理上陸記念碑”と書かれた高さ8.68メートル※の『ペリー上陸記念碑』が建っている。

※台座や基礎を含む、地面からの高さを横須賀市が実測した値。石碑本体は4.5メートル。1901年7月の建立当時は地面から9.9メートルあったが第二次大戦中に一度倒された。終戦後再建され現在の高さに。

記念碑 
<字は伊藤博文によるもの。>
 
記念碑広場の景観
<錨と碑と記念館、全部入り。>

上の写真右奥にみえる『ペリー記念館』、1階は黒船来航を再現したジオラマの展示室、2階は歴史資料の展示室になっている。
ジオラマ 
<太平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず。>

1階の壁には『横浜開港新聞』も貼ってある(創刊1853年6月9日、発行2006年11月15日、神奈川新聞)。

1面の見出しは“浦賀沖「黒船」現る – ペリー提督久里浜上陸”。
当時の絵画なども使用し、現代の新聞があったらこんな記事が載っただろう、という体で書かれたもの。

開港新聞 
<ドラマ「花燃ゆ」の見せ場シーンも記事に。>

あまり知られていないが、
○乗組員が東海道を徘徊して一般家屋に侵入、日本側が抗議した
○肉食に慣れた米国人は、日本食の“饗応の膳”を軽食だと思い、満足しなかった
といった史実も紹介されている。

2階は資料展示室。部屋の真ん中に当時の三浦半島の防衛体制に関するジオラマが置かれており、周囲の壁面に沿って歴史資料が陳列されている。

三浦半島海岸防備 
<沿岸一帯に走る“御用道路※”を光らせたところ。>

※当時三浦半島の海岸防備を担当していた彦根藩・川越藩が、主に警備のために利用していた道路。商人など一般庶民も通行可能だった。

当時の絵巻物、瓦版、ペリーが娘に宛てた手紙など資料のほか、ペリーと戸田伊豆守氏栄(とだいずのかみうじよし)※の胸像も展示されている。

※当時の使節応接役・浦賀奉行。

ペリー上陸直前の様子を描いた絵巻物 
<「花燃ゆ」では松陰が丘から眺めた黒船。>

『ペリー記念館』は入館料無料。開館時間は9:00~16:30。
休館日は、毎週月曜日(祝日にあたる場合は翌日)・祝日の翌日・年末年始。
問合せは046-834-7531まで。

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