東海道の第一宿(後編)
“東海道の第一宿:品川”の史跡めぐりをテーマに、田町駅前から『品川宿本陣跡』を目指している。
前編はこちら
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再び第一京浜に戻り、泉岳寺から約15分で品川駅に到着。
歩道脇に“明治五年五月七日 品川横浜間鉄道開通”と記され、裏面※には当時の時刻表と運賃表が書かれた『品川駅創業記念碑』が建っている。
※第一京浜の歩道側からは記念碑の裏面が見える。
<当時の運賃は片道で、上等1円50銭、中等1円、下等50銭。>
昔のお金を現在の価格に換算することは価値基準の違いなどにより難しく正確な値を出すことはできないが、記録に残る例を挙げると当時
●白米:約10キログラムが36銭
●銀座四丁目の地価:一坪(約3.3平方メートル)が5円
下等運賃(片道50銭)でも、お米が13キログラム以上、5往復すると銀座の土地が一坪買えたことになる。
ちなみに、現在、JRで品川~横浜間は290円。
品川駅を通過してさらに5分ほど歩くと『八ツ山橋』が見えてくる。
ここで進路を左に。京浜急行の踏切を渡り、北品川商店街に入っていくと、そこが東海道一番目の『品川宿』だ。
八ツ山橋交差点から10分弱で、『品海公園』に到着。ここには“日本橋から二里”と記された道標と街道松がある。
<日本橋から約8キロメートル、次の川崎宿まで約10キロメートル。>
更に商店街を2~3分歩くと、今回のゴール『聖蹟公園』。ここが品川宿本陣のあったところで、品川三宿※の中央に位置する。
※品川宿は歩行新宿(かちしんしゅく)・北品川宿・南品川宿の三つのエリアに分かれていた。
<残念ながら建屋などは残っていない。>
品川宿には写真のような道標が『鈴ヶ森刑場跡』まで25個※、番号順に建っている。『八ツ山橋』から『鈴ヶ森刑場跡』まで約4キロメートル。道標をたどってのんびり散策するのも一興だ。
※品海公園の“日本橋から二里”の道標は番外で、数字は振られていない。