ヤマトナデシコ”おもてなし”企画指南 塩津理代さん(前編)
今回は【異なる文化圏での仕事】をテーマに、フランスにて日本人向け個人旅行会社を営む塩津理代(しおつみちよ)さんにお話をお聞きしました。
理代さんは、結婚を機に海外移住して14年。3年前に知人の旅行会社のボルドーセクションとして会社を任され、昨夏独立されました。ミニバスで廻るオリジナルツアーを多種企画されています。
-フランスに移住したきっかけは? もともと海外で仕事をしたかった?
大学3年生の時、ニース大学へ1年間の留学中に今の主人と出会い婚約をしまして。日本の大学を卒業するために帰国した翌年、2001年に結婚して移住しました。
フランス語を勉強していたわけですから、フランスでの仕事に漠然とした憧れはあったかもしれません。でも当時は具体的な目的があったわけでも、永住するために留学したわけでもなく…大学生でそこまで人生を考えていませんでした。
ニースには5年住み、その後ボルドーに移って9年になります。
―仕事の経験は?
わたしは結婚して移住することが学生のうちに決まったので、日本での仕事の経験は派遣やアルバイトくらいで就職したことはなかったです。フランスに渡ってからも、外国人として合法的に仕事をすることは難しく、入籍するまでは就職活動も「労働許可書を持ってないなら駄目」、の繰り返しでした。
結婚してからは、イベントの多い土地柄、通訳や、モナコF1グランプリでの日本人アテンドやガイド等、単発の仕事をしていました。
その頃は会社を運営しようなどとは思っていなかったです。ただ、都会で観光基盤の整備されたようなパリなどとは違って、ニースという、有名ではありながらも郊外ののどかなコートダジュールの地。日本人がガイドをするhow toや決まったルートもない中を、ひとつひとつ困難をかきわけかきわけ、勉強して努力していった経験は、今自分の会社として仕事をしていくやる気に繋がったとは思います。
―では、会社を運営することになったきっかけは?
10年ほど前に、日本人が設立したニースのミニバスツアー会社の正社員になりました。そのオーナーの一人である日本人女性との出会いが一番のきっかけです。
そこでは事務所でのオペレーションをしていましたが、そこで観光業の裏というか成り立ちのようなものを教えてもらえたし、なによりその方の日本人らしいサービス業の姿勢に共感を覚えました。日本人が海外に住んでいると、その国の人になりきっちゃう人が多いけれど、日本的感覚を失わずに仕事をしているのがすごいな、と。
その方が別会社を立ち上げた際、ボルドー部門の会社として声をかけられたことがスタート、それが3,4年前です。
とはいえ最初はふんぎれませんでした。子育て真っ最中で家庭も忙しいし、会社の1セクションとはいえ、物理的には自分ひとりでの運営。不安もあったけれど、思い切ってやってみるか、と。
その会社の社員としてスタートしましたが、昨夏、運送業ライセンスを取得し会社を買い取り、実質的なオーナーとなりました。これは大きな1歩でした。
―その大きな1歩、社長としてやっていこうと踏み出せた力の源は?
この3,4年の助走期間で、「これならやっていける」という、経験と自信がついたおかげです。
口約束とはいえ、ゆくゆくは私の会社としてやっていくというお話で始まったので、見据えていたことではありましたが、最初は無謀な挑戦として任された気持ちもありました。それがかえって、実質全部自分でやってこられたという自信となり、気持ち的にも運営的にも準備期間として役立ったと思います。
―仕事を始めて変わったことはありますか?
自分自身がすごく変わったとは思いませんが、外に自分の世界ができたことは良かったと思います。
接客業なので、お客様から「楽しかった」とお礼メールが来るのは嬉しい、そして日本と繋がっていられることが嬉しいです。お客様は100%日本人ですし、現場だけでなく日本のエージェントさんとのやりとりやサイトも日本語なので、ともすると1日中日本語しかしゃべらない日も。フランスで専業主婦でしたら一言も日本語をしゃべらないかもしれないので、精神的には良いかもしれません。
***次回(後編)では、海外(フランス)での働き方、日本とのちがいなどについてお話を伺います。